役行者神變大菩薩
役小角(えんのおづぬ)
修驗道の開祖 役小角〈えんのおづぬ〉(役行者 えんのぎょうじゃ)
飛鳥時代の呪術者とされ多くの伝説を持つ。(634一701伝)
舒明天皇六年(634)小角は大和国葛木上郡茅原村(奈良県御所市茅原)に生まれ、家の氏姓は「賀茂役君」(かものえんのきみ)で賀茂氏の一族。
幼い頃から常人とは異なり誰に教わったわけでもないのに、梵字を書いて拝んだり葛木の山々に出入りし青年期には山登りが日課となっていた。
「日本霊異記」によると早くから生駒山や熊野の山中で荒行を積んだと伝えられている。
三十二才の時に葛木山(大和葛城山)に籠り、『孔雀王呪教』〈息災.祈雨.若返り.延命.空中飛行.水上飛行.鬼神使役法〉の呪法を三十年間修法して遂には超人的な能力を会得した。
いよいよ修驗道の守護神たる金剛蔵王権現を祈りだしたのは、小角四十一才の事である。
大峯山上ヶ岳の山頂の巨岩に座し、地上で苦しむ人々を救うだけの強い験力をもった神仏を祈り出すために一心に拝んでいた。
すると最初に弁財天が現れたが破邪の神としては、あまりに優美すぎた。
小角はもっと力強い神仏をと思いを凝らすと、弁財天はそれを察し天河の里に飛び去った。
次に小角の祈りに乗じて現れたのは地蔵菩薩であった。
しかし地蔵は慈悲の菩薩であり、小角の求める荒々しい神仏とは違っていた。
そこで小角は更に一心に祈ると、突然凄まじい雷鳴とともに火炎の中から憤怒の形相をした神が示現した。
小角はこの神を見たとたん『これぞ我が求める神である』と覚り、直ちにその御姿を樹木に彫り山中に祀った。{役行者絵巻より}
激しい性格を持つ役小角は、厳しい山林修行によって悉く高度な呪術を身に付け、中でも鬼神を使役する法を得意とした。
ここに役小角の性格と験力を表す逸話がある。
「ある時彼は鬼神を集め、吉野の金峰山と葛木の峰の間に石橋を架けるため、突貫工事を命じた。
この時、葛木の山神である一言主神(ひとことぬしのかみ)も駆り出された。
昼夜通しの工事のため、醜い容貌をしていた一言主神は顔があらわになる日中の工事を断った。
小角はこれに怒り、一言主神を蔓で縛り上げ谷底に投げ捨てた。
これを恨んだ一言主神は里人に憑いて『小角に謀反の心あり』と託宣したと云う。
その託宣により、朝廷は葛木山に三千の兵を差し向けた。
岩の上の小角を発見し四方から囲んだが、空中に飛び上がり弓を射ようとしても不思議にも矢が弓から放れず、剣を抜こうにも鞘から抜けない。
小角ひとりに三千人の兵がいいようにあしらわれてしまった。
面目を潰された朝廷は、なんとしても捕まえるため小角の老いた母親を人質に取った。
すると小角は自分から朝廷に出頭し、朝廷は小角を伊豆大島に流した。
流刑となった小角は悠々としていたともいわれ、昼間は大人しく座禅を組んでいても、夜になると富士の大嶽に登り行を積んでいたと云い、また夜が明けるといつの間にか戻って座禅を組んでいたという。
役人たちは小角がどこに行くのか確かめるため警護を強化していたが、役人たちが目にしたのは小角が日が暮れるとともに浜辺へ出てそのまま飛ぶような早さで海面を歩いて本土に消えてしまうという不思議な現象であった。
小角が刑を解かれ都に戻るまでの三年の間、富士山を修験道場として開山し東北まで足をのばしていた。
やがて小角は生まれ故郷にもどり、ほどなくして仙人になると言い残し母を伴いくろがねの鉢に乗せ海の彼方に去り天に昇って行ったと云う。」
役小角は半ば伝説的な人物ではあるが、実在していたことはまちがいない。
一 役行者御遠忌 一
役行者一千百年の御遠忌(没後)にあたり〈寛政十一年正月廿五日〉(1799) 光格天皇から「神變大菩薩」(じんぺんだいぼさつ)の諡号を贈られており、今もなお永きに亘り山伏たちの間では「役行者神変大菩薩」として崇められ、庶民からも篤い信仰を受けている。