修驗本坊    本源山  王 城 院

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般若波羅蜜

智慧の完成

一言で表すなれば、”智慧の完成”ということになり、その内実を「空」の思想が支える。

仏教を一貫して最高の徳であり、完成形を意味し、それは直感的な特色がある。


また執着を離れ、実体的な考えを強く否定して、一切のとらわれのない完全な”無執着”〈むしゅうちゃく〉を指す。


その実践修行を、現実世界に他者と共に活躍する”菩薩”が果たし、この菩薩は必ず仏としての覚りを目指し、衆生全般の教化に努めようとの決意から出発し、これを「発菩提心」〈ほつぼだいしん〉という。


更に般若波羅蜜の原語が女性を意味するところから、「仏母」〈ぶつも〉とされ、文字数わずか三百字足らずの経典『般若心経』の中でもその教えが説かれている。


般若心経は菩薩〈観世音〉の修行の過程を説いており、現在広く流布するところの般若心経は「玄奘三蔵」〈げんじょうさんぞう〉訳である。

その玄奘三蔵が天竺へ経典を求める旅に向かう際、神人が現れて、玄奘に『旅の途中で困難極まりない事も起きようが、その時はこの経典を唱えよ。災いは悉く解消するであろう』と言い、神人は去った。

玄奘は神人の助言通りにして、幾多の危機から救われたと云う。


以来、般若心経は人々の心の糧となり、迷える者の悩みを解消してきたことは多くの人が知る通りである。

ただし、般若心経は一般的な信者を救うというよりも、社会から離脱して解脱を求める者たちのための秘密の経典として編集された。


般若心経の経題は『偉大なる御方(おんかた)である般若波羅蜜という名の女神の心臓を伝える経』の意味であり、心臓とは”核心”や”真髄”を指す。

この女神は解脱の境地に到達するための智慧の行法の体現者であり、母親が赤子に乳を与えるように他者に解脱の能力を与える女神であることから、「聖仏母」と称される。

正しくは「般若波羅蜜多菩薩」略して「般若菩薩」という。


般若心経は、聖仏母の心臓(核となる部分)に蔵された深い秘密を、菩薩(観世音)が釈迦の弟子「舎利子」に説き明かす構造になっている。


まず、般若心経の内容は『観世音菩薩は、現象界にはどのような実体などないことを、般若波羅蜜(智慧の完成)によって覚ったが故に全ての苦悩から解放された』との部分から、この経典は始まる。


”色不異空”(しきふいくう)から”無智亦無得以無所得故(むちやくむとくいむしょとくこ)までの「空」や「無」の羅列は、我々人間が実在すると信じている物質や、感覚、意識、物の増減、人の老死のなどは相互関係によって、在るように見えているだけで、実体として存在しないということを述べている。


これらのことは、どのように言葉をひねくりまわして理解しようとしても無駄なことで、それが如実にわかるような”体験”でしか解り得ないであろう。

こうした神秘的体験を、いかにして誘発するかが般若心経の「核となる部分」である。


以下、般若心経の経典は『観世音菩薩や、過去.現在.未来の菩薩たちは般若波羅蜜の教えによって、物事には実体などないことを正しく見極めたからこそ、心に曇りがなく不安や迷いから解き放たれて解脱した』と続く。


そこで般若波羅蜜とは何であるかというと、これは偉大なる真言(マントラ)であり、他に比べるものなどないほど素晴らしい真言であると説く。


般若心経の末尾の真言(マントラ)に『ギャテイ.ギャテイ.ハラギャテイ.ハラソウギャテイ.ボウジ.ソワカ』は『行け、行け、彼岸に行け、彼岸へ行ける者へ幸いあれ』というように、覚りの世界”彼岸”への到達を讃える形式に訳されている。


般若の教えは実体的な思考を強く否定し、その固定的なありかたに対して厳しい批判を浴びせている。


総じて般若波羅蜜は、ことには”六波羅蜜”を総括して「菩薩行」としたところに大乗佛教がスタートする。


いわんや、この世は実體無きと知るべきをや。


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